大井ヶ森村(読み)おいがもりむら

日本歴史地名大系 「大井ヶ森村」の解説

大井ヶ森村
おいがもりむら

[現在地名]長坂町大井ヶ森

白井沢しろいざわ村の西にあり、西を女取めとり川、東をたか川が南に流れる。甲州道中はら路の小淵沢こぶちさわ(現小淵沢町)より分れて佐久さく往還長沢ながさわ(現高根町)に至る横道東西に通る。天文一一年(一五四二)三月一五日信州上諏訪に向け出発した武田晴信の軍勢は「大井ノ森」に陣所を置いた。同一七年七月の信州出兵の際も同一八日大井ノ森より出陣している(高白斎記)。慶長六年(一六〇一)検地帳(県立図書館蔵)には大井森郷とあり、下田九反余・下々田八反余、中畑六反余・下畑九反余・下々畑三町七反余、永不作畑一町二反余、屋敷数三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む