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大伴池主 おおともの いけぬし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大伴池主 おおともの-いけぬし

?-? 奈良時代の官吏。
大伴家持(やかもち)が越中守のときの越中掾(じょう)で,家持とかわした歌などが「万葉集」におおくみられる。のちに式部少丞(しょうじょう)。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)9年(757)橘奈良麻呂(たちばなの-ならまろ)の変にくわわり,投獄された。
【格言など】十月(かむなづき)時雨(しぐれ)に逢へる黄葉(もみちば)の吹かば散りなむ風のまにまに(「万葉集」)

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

大伴池主

生年:生没年不詳
奈良時代の官人。大伴家持と親接な同族で『万葉集』に多く歌を残す。天平10(738)年春宮坊少属従七位下。同年橘奈良麻呂の宴に参加した。18年から翌年にかけて越中守家持と共に掾として越中(富山県)にあり,宴などで共に歌を詠んだほか,家持が病臥したときに歌を贈答している。20年越前掾に転じても天平勝宝3(751)年にかけて越中の家持との間で交信している。5年には左京少進として京にあり,少納言家持らと高円野(奈良市)に遊んだ。6年1月大伴の氏人が家持宅に賀集し宴飲したときにも詠歌している。8年には式部少丞とみえるが,橘奈良麻呂の変(757)に加わり,禁獄され,消息を失う。

(佐藤信)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

おおとものいけぬし【大伴池主】

奈良時代の歌人。生没年不詳。746年(天平18)ころ越中掾(じよう)として大伴家持の配下にあり,家持との間に交わした多くの贈答歌を《万葉集》にとどめるが,大伴一族とあるのみで系譜は不明。のち越前掾に転じ,さらに中央官として都にかえった。757年(天平宝字1)橘奈良麻呂の変に加わって投獄され,その後は不明。〈山峡(やまがい)に咲ける桜をただひと目君に見せてば何をか思はむ〉(《万葉集》巻十七)。【川口 常孝

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