アンカラの戦(読み)アンカラのたたかい

改訂新版 世界大百科事典 「アンカラの戦」の意味・わかりやすい解説

アンカラの戦 (アンカラのたたかい)

1402年7月28日,トルコのアンカラ近郊で戦われたティムール軍とオスマン・トルコ軍の会戦。1402年3月,冬営地カラー・バーグを出発したティムールは,オスマン軍との対決を目指して小アジアに進み,エルジンジャン,シワス,カイセリ,クルシェヒルを経てアンカラに到着,北東郊外のチュブク・オワスに陣を張った。これに対してスルタンバヤジト1世に率いられたオスマン軍は,トカトから急ぎアンカラに引き返したが,わずか1日の戦い完敗を喫し,バヤジト1世はティムールの捕虜となり,オスマン朝は一時的に滅亡した。バヤジト1世を伴ったティムール軍と別動隊は,ブルサ,イズニク,イズミルをも攻略し,やがて帰途についたが,その途上の03年3月9日,バヤジト1世はアクシェヒルで病没した。このオスマン皇帝の虜囚生活と死はヨーロッパの文学者たちの関心をひき,16世紀イギリスの劇作家C.マーローによる戯曲《タンバレイン大帝》などの作品を生んだ。
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百科事典マイペディア 「アンカラの戦」の意味・わかりやすい解説

アンカラの戦【アンカラのたたかい】

1402年ティムール軍とオスマン帝国軍の戦い。ティムール軍は西アジア遠征のためアナトリア(小アジア)に侵攻した。オスマン朝第4代スルタン,バヤジト1世(雷帝)は急遽アンカラに転戦したが,大敗して捕らえられ,オスマン朝は分裂した(1412年まで)。1403年バヤジト1世は病没。この事件もとにC.マーローは《タンバレン大帝》を書いた。

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