改訂新版 世界大百科事典 「建文帝」の意味・わかりやすい解説
建文帝 (けんぶんてい)
Jiàn wén dì
生没年:1383-1402
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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中国、明(みん)朝第2代皇帝(在位1398~1402)。姓名は朱炆仝(しゅいんぶん)。諡号(しごう)は恵帝。年号により建文帝とよばれる。太祖朱元璋(しゅげんしょう)の孫、懿文(いぶん)皇太子の次子。1392年、皇太子であった父が死去したあと皇太孫となり、98年に太祖が没すると帝位を継いだ。即位の直後から、側近と謀って、各地に王として分封されていた太祖の諸子の廃絶を強行した。そのため、北平(北京(ペキン))にあった燕(えん)王(永楽帝)は挙兵し、いわゆる靖難(せいなん)の変が起こった。4年間の戦闘ののち、1402年6月、燕王に京師(けいし)(南京(ナンキン))を攻略され、落城にあたり兵火に身を投じて死去した。
[寺田隆信]
1383~1402(在位1398~1402)
明の第2代皇帝。姓名は朱允炆(しゅいんぶん),諡は恵帝。洪武帝の孫。皇太子であった父が病死したため洪武帝の没後16歳で即位。側近のすすめで一族諸王抑圧策(削藩)をとり,燕王(永楽帝)の挙兵(靖難(せいなん)の変)を招いて敗れた。その最期は不明。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…その数は最終的には25にのぼった。ところが,太祖のあとをうけた建文帝は,側近の議をいれ,これら諸王の勢力を排除する政策をとり,周王・湘王・斉王・代王・岷王らが次々と犠牲になった。これをみて,北平(北京)にあった燕王は,削藩の計が自分にもおよぶのを察知して1399年(建文1)7月兵を挙げた。…
※「建文帝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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