大内青圃(読み)オオウチ セイホ

20世紀日本人名事典 「大内青圃」の解説

大内 青圃
オオウチ セイホ

大正・昭和期の彫刻家



生年
明治31(1898)年12月12日

没年
昭和56(1981)年2月21日

出生地
東京市麻布区

本名
大内 正

学歴〔年〕
東京美術学校彫刻科木彫部〔大正10年〕卒

主な受賞名〔年〕
院展文部大臣賞(第45回)〔昭和35年〕「龍女献珠」,日本芸術院賞〔昭和38年〕

経歴
幼時より父に仏教及び篆刻、兄青坡から絵画素描を学ぶ。のち高村光雲に木彫、水谷鉄也に塑像を学んだ。大正13年院展に初入選、昭和2年日本美術院同人となり、23年日展審査員、33年美術院評議員に就任。36年院展彫刻部解散後は個展を中心に発表、38年日本芸術院賞を受け、44年日本芸術院会員となる。52年10年をかけて制作した永平寺東京別院長谷寺の本尊「十一面観音像」が完成、クスノキの一木彫としては世界最大のもので、これが最後の大作となった。他の代表作に「魔王女愛染欲」「吉祥天女面」「金剛力士二尊」「龍女献珠」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大内青圃」の解説

大内青圃 おおうち-せいほ

1898-1981 大正-昭和時代の彫刻家。
明治31年12月12日生まれ。大内青巒(せいらん)の5男。大正13年再興院展に初入選,昭和35年文部大臣賞。38年芸術院賞,44年芸術院会員。一貫して仏教彫刻を制作した。昭和56年2月21日死去。82歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は正。作品に「多羅菩薩」「十一面観音像」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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