明治時代の仏教思想家、運動家。仙台の人。弘化(こうか)2年4月17日生まれ。幼名は退(まかる)、字(あざな)は巻之(かんし)、号は藹々翁(あいあいおう)、藹々居士(あいあいこじ)、謁々露堂(かつかつろどう)。初め漢学を学び、のち禅門に入り泥牛(でいぎゅう)と改名、福田行誡(ふくだぎょうかい)、原坦山(はらたんざん)に仏教を学んだ。『駁尼去来問答(ばくにこらいもんどう)』を著して名声を得、浄土真宗本願寺法主(ほっしゅ)大谷光尊(こうそん)の侍講となる。1874年(明治7)『報四叢談(ほうしそうだん)』、翌1875年『明教新誌(めいきょうしんし)』を発行して文書伝道に努めた。また1879年には盲聾唖者(もうろうあしゃ)の築地(つきじ)訓育院高等普通学校の設立など社会事業にも尽力。1889年には政治団体の尊皇奉仏大同団を組織するほか、聖徳太子を尊崇して上宮(じょうぐう)教会を設立した。また曹洞扶宗会(そうとうふしゅうかい)などを結成し、『在家化導修証義(ざいけけどうしゅしょうぎ)』を編集して在家主義の仏教を主張し、明治仏教界、教育・出版界に影響を与えた。著書に『碧巌集(へきがんしゅう)講話』などがある。大正7年12月16日示寂。
[金田諦応 2017年5月19日]
明治期の僧侶,仏教運動家 東洋大学学長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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