大古誠司(読み)おおこせいじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大古誠司」の意味・わかりやすい解説

大古誠司
おおこせいじ

[生]1948.2.15. 神奈川,川崎
バレーボール選手,監督。 1960年代後半から 1970年代にかけての日本を代表するエースアタッカー。川崎の中学校卒業後,東芝訓練校に入学。 1967年日本鋼管に入社,バレーボールを本格的に始めてわずか半年で日本リーグのベスト6に選ばれた。 1m94cmの長身で,大型化をねらう全日本男子チーム監督松平康隆に見出され,アタッカーとして徹底的に鍛えられた。 1968年メキシコ・オリンピック競技大会で銀メダルを獲得。 1972年ミュンヘン・オリンピック競技大会では攻撃陣の中心となり,多種多様な速攻コンビネーションバレーを操って日本男子初の金メダルを獲得,「世界の大砲」の異名をとった。翌 1973年サントリーのバレーボール部の創設を手がけ,コーチや監督を兼任しながらチームをリーグの強豪に育てた。 1976年モントリオール・オリンピック競技大会 (4位) で,3大会連続オリンピック出場を果たした。 1982年現役引退。 1991年から4年間全日本男子チームの監督を務め,1992年バルセロナ・オリンピック競技大会を指揮 (6位) 。 2004年バレーボール殿堂入り。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大古誠司」の解説

大古誠司 おおこ-せいじ

1948- 昭和後期-平成時代のバレーボール選手,指導者
昭和23年2月15日生まれ。東芝学園から昭和42年日本鋼管(現JFEエンジニアリング)にはいる。大型スパイカーとして全日本チーム入りし,43年メキシコ五輪で銀メダル。47年ミュンヘン五輪で金メダル。翌年サントリーに移籍し,51年モントリオール五輪で4位。サントリー監督をへて平成2年全日本男子の監督。16年バレーボール殿堂入り。神奈川県出身。

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