ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大古誠司」の意味・わかりやすい解説
大古誠司
おおこせいじ
バレーボール選手,監督。 1960年代後半から 1970年代にかけての日本を代表するエースアタッカー。川崎の中学校卒業後,東芝訓練校に入学。 1967年日本鋼管に入社,バレーボールを本格的に始めてわずか半年で日本リーグのベスト6に選ばれた。 1m94cmの長身で,大型化をねらう全日本男子チーム監督松平康隆に見出され,アタッカーとして徹底的に鍛えられた。 1968年メキシコ・オリンピック競技大会で銀メダルを獲得。 1972年ミュンヘン・オリンピック競技大会では攻撃陣の中心となり,多種多様な速攻コンビネーションバレーを操って日本男子初の金メダルを獲得,「世界の大砲」の異名をとった。翌 1973年サントリーのバレーボール部の創設を手がけ,コーチや監督を兼任しながらチームをリーグの強豪に育てた。 1976年モントリオール・オリンピック競技大会 (4位) で,3大会連続オリンピック出場を果たした。 1982年現役引退。 1991年から4年間全日本男子チームの監督を務め,1992年バルセロナ・オリンピック競技大会を指揮 (6位) 。 2004年バレーボール殿堂入り。
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