日本歴史地名大系 「大呑北庄」の解説 大呑北庄おおのみきたのしよう 石川県:七尾市大呑北庄崎山(さきやま)半島基部の佐々波(さざなみ)川流域および伊掛(いかけ)山麓周辺の富山湾沿岸一帯、現七尾市佐々波町から大野木(おおのぎ)町にかけての地域に比定される。大呑庄の北域にあたる。永正一一年(一五一四)一二月二六日、能登守護畠山義元の奉行人隠岐統朝・三宅俊長が当庄百姓中に対して、能登一向一揆と結ぶ国人・土豪の反乱に際し、守護方を支援して七尾に出張、忠節を尽した恩賞として年貢の一〇分の一を永代免除しており(「畠山氏奉行人連署奉書写」加越能古文叢)、当時畠山氏の直轄領であったと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by