大味村
おおみむら
[現在地名]福井市東大味町・西大味町
文殊山の東方、広野山(三一八・九メートル)の東北麓の谷間にあり、東西二村に分れる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図には「西東大味村」(高一四五五・〇二三石)とあり、正保郷帳も同様で、同帳によれば田方七二〇石余・畠方七三四石余。元禄郷帳以降、二村に分れて記される。福井藩領。
東大味から東方一乗谷の鹿俣へ初坂を越える道を鹿俣越とよび、朝倉氏時代の一乗谷への大手道にあたる。近年まで石敷の道路が残っていた。初坂の登り口を茶屋出とよぶが、「越藩拾遺録」に「昔此筋ニ東大味村遊女町ナリシ由。
大味村
おおみむら
[現在地名]坂井町大味・蛸
坂井平野の中央部北寄りに位置し、竹田川と兵庫川の中間地点にある。上・中・下の三垣内に分れ、枝村として蛸村があった。村名は河口庄十郷の一つ王見郷に由来し、明応八年(一四九九)の永代売渡申王見郷岩長名別相之田事(性海寺文書)に「売主王見郷中村住人次郎衛門」と記載されている。
慶長三年(一五九八)の坂北郡大ミ村之内中村御検地帳(田崎家文書)には「大見之内蛸わた村分」「大味村之内たこのわた畠方」とあり、田畑屋敷地の記載方法からみて上・中・下の三垣内と蛸村(蛸わた村)の原形ができていたことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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