山川 日本史小辞典 改訂新版 「大坂打ちこわし」の解説
大坂打ちこわし
おおさかうちこわし
大坂で発生した打ちこわし。(1)1767年(明和4)家屋敷の質入れの際,差配所の奥印(おくいん)を必要とする家質(かじち)奥印差配所に反対し,同所の発願人津国屋長右衛門・紙屋利兵衛らを打ちこわしたもの。差配所は75年(安永4)に廃止。(2)1787年(天明7)天明飢饉による米価騰貴を原因に,市中の下層民が米の安売りを要求し米屋約200軒を打ちこわしたもの。なお83年にも小規模な打ちこわしがおきている。(3)1836年(天保7)天保飢饉による米価騰貴を契機に発生した打ちこわし。打ちこわし軒数は10数軒で,天明期ほどの規模ではないが,大坂とその周辺村落の窮乏状態は翌年の大塩の乱の前提となった。(4)1866年(慶応2)第2次長州戦争のための大量の米買付けと商人の買占めによる米価騰貴を原因に,将軍徳川家茂が大坂在陣中に発生した打ちこわし。打ちこわしは885軒におよんだ。取調べに対し参加者は,張本人は御城にいる(将軍をさす)と叫んだ。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報