大堀平館跡(読み)おおぼりだいたてあと

日本歴史地名大系 「大堀平館跡」の解説

大堀平館跡
おおぼりだいたてあと

[現在地名]相馬村紙漉沢

紙漉沢かみすきざわの西方約一キロの原の中に位置する。「津軽諸城の研究」によれば跡地は南北約二〇〇メートル・東西約三〇メートルの小丘で、低地との比高約二〇メートル。上面の平坦部の周囲は大堀とよばれる湿地で囲まれる。その幅は狭い所で二〇メートル、広い所で三〇―四〇メートル以上あったといい、往時は広大な水堀で囲まれていたと考えられる。南方一〇〇メートルに長者森ちようじやもりとよばれる居館跡があり、さらに西北一帯の国吉くによし(現弘前市)付近まで、塁砦竪穴などが至る所にあった。

当館は元弘三年(一三三三)末から建武元年(一三三四)にかけて繰広げられた朝廷勢力と幕府勢力の攻防で、幕府方の最後の拠点となった持寄もちよせ(もちより、もよせとも読む)本城とみられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

七種とも書く。春の七草と秋の七草とがある。春の七草は「芹(セリ),薺(ナズナ),御形(おぎょう,ごぎょう。ハハコグサ),はこべら(ハコベ),仏座(ほとけのざ。現在のコオニタビラコ),菘(すずな。カブ)...

七草の用語解説を読む