日本歴史地名大系 「相馬村」の解説 相馬村そうまむら 青森県:中津軽郡相馬村面積:一〇四・三八平方キロ中津軽郡の東南端に位置する。東は大鰐(おおわに)山地を水源とする栩内(とちない)川を隔てて弘前市、西は丘陵を隔てて西目屋(にしめや)村、北は岩木川を挟んで岩木町、南は大鰐・白神(しらかみ)山地を境に秋田県北秋田郡田代(たしろ)町に接している。村域の八七パーセント以上が山林で、そのうち約六六・六パーセントが国有林である。村の中央部を藍内(あいない)川が北流してやがて相馬川となり、西部をその支流の作沢(さくざわ)川が北流して沢田(さわだ)辺りで東に流れを転じ、藤沢(ふじさわ)の東南で相馬川に合流する。 相馬村そうまむら 青森県:中津軽郡相馬村相馬村[現在地名]相馬村相馬相馬川とその支流作沢(さくざわ)川に挟まれた合流点近くの低地にある。北は藤沢(ふじさわ)村、東は水木在家(みずきざいけ)村、西は大助(おおすけ)村、南は藍内(あいない)村に接する。天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「皐間(そうま)」とある。集落の南西に南部沼山氏の居館と伝えられる竜気平(たつきだい)館跡がある。津軽古今雑記類纂によれば沼山氏は文安―明応年間(一四四四―一五〇一)赤松氏・和田氏らと浪岡(なみおか)(現南津軽郡浪岡町)の北畠顕義の補佐をしている(津軽諸城の研究)。しばしばの戦乱を逃れて浪岡御所の族類がこの地に来たものと思われ、沼山氏も同行して来たものであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報