大宰府政庁跡(読み)だざいふせいちようあと

日本歴史地名大系 「大宰府政庁跡」の解説

大宰府政庁跡
だざいふせいちようあと

[現在地名]太宰府市観世音寺一―六丁目・坂本一―三丁目など

太宰府市のほぼ中央北辺、四王寺しおうじ山南側裾部のやや高燥の地にある。東側と西側には月山つきやま蔵司くらつかさとよばれる小丘陵があり、南を御笠みかさ川が東から西に流れている。律令制下の地方官衙大宰府の中心的施設。菅原道真の漢詩集「菅家後集」の一篇「不出門」に「都府楼纔看瓦色」とある一節にちなんで、都府楼とふろう跡ともよばれる。江戸時代には現地に多くの礎石が残存していたため、「続風土記」をはじめとする地誌の類には大宰府政庁跡に関する詳細な記述がみえ、また青柳種信の「太宰府志」、伊藤常足の「太宰府徴」、上野勝従の「太宰府考」が著された。

史跡地拡大に伴い昭和四三年(一九六八)から発掘調査が開始され、これまで合計一一次の調査が実施されている。調査の結果三期にわたる遺構変遷が明らかになった。第I期は七世紀後半代に造営された掘立柱式の建物遺構である。この期の遺構については造営年代や全体の建物配置など不明な点が多いが、発掘された建物には少なくとも三時期の重複がみられる。当初の遺構は現在地における大宰府創設期のものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報