国指定史跡ガイド 「大宰府跡」の解説
だざいふあと【大宰府跡】
福岡県太宰府市観世音寺にある政庁跡。古代において西海道諸国の統括と大陸外交の拠点として設置された役所跡。大野山南麓の平野に築かれた都城跡で、中心となる政庁跡は都府楼(とふろう)跡の名で親しまれてきた。1921年(大正10)に国の史跡に、1953年(昭和28)には特別史跡に指定され、さらに2009年(平成21)に追加指定を受けた。大宰府は、663年(天智天皇2)の白村江(はくすきのえ)の戦いでの敗戦後に、博多湾岸にあった那津官家から移建されたと考えられており、発掘調査により大宰府政庁跡の建物群が3期にわたって変遷していることが確認された。第1期は、7世紀後半の掘立柱建物で、水城(みずき)・大野城・基肄(きい)城と同時期に建造されたものとみられる。第2期は、8世紀前半に地方行政施設として建造された朝堂院(ちょうどういん)形式の礎石建物で、この建物は941年(天慶4)の藤原純友の乱により焼失。第3期は、10世紀中ごろに第2期とほぼ同じ建物配置で再建され、今に残る礎石群はこの時期のもので、現地にその遺構が平面復元されている。現在、大宰府跡は整備され、史跡公園として活用されている。西日本鉄道天神大牟田線都府楼前駅から徒歩約15分。