大岡忠正(読み)おおおか ただまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大岡忠正」の解説

大岡忠正 おおおか-ただまさ

1781-1816 江戸時代後期の大名
天明元年9月15日生まれ。伊勢(いせ)(三重県)東阿倉川藩主加納久周(かのう-ひさのり)(大岡忠光次男)の3男。従兄大岡忠烈(ただやす)の養子。寛政9年武蔵(むさし)岩槻(いわつき)藩(埼玉県)藩主大岡家5代となる。12年奏者番。児玉南柯(こだま-なんか)の私塾遷喬館(せんきょうかん)を藩校勤学所とし,講武所をもうけ,文武両道を奨励した。文化13年8月28日死去。36歳。初名は久敦(ひさあつ),久成(ひさひら)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む