大島城跡(読み)おおじまじようあと

日本歴史地名大系 「大島城跡」の解説

大島城跡
おおじまじようあと

[現在地名]松川町元大島 古町

古町ふるまち東端、突出した台地上に位置する。台城ともいう。

武田信玄は元亀二年(一五七一)に伊那郡代秋山信友に命じて大島城の大修築を行った。同年三月の武田信玄朱印(工藤文書)

<資料は省略されています>

とある。

現在の城跡はこの時の築城によるもので、戦国時代の城形をそのまま伝えたものといわれる。天竜川が脚下を流れ、突出した台地上の地形は天然の要害であり、中世の城砦に適した地点であった。「下伊那史」によれば、城跡全体の広さは東西三六一メートル、南北二三五―二五三メートル。城の大手は三日月堀の北にあり、西面する。三日月堀は東西の幅七二メートル、南北の長さ九一メートル。三日月堀を過ぎて三の丸・空堀を越えて二の丸に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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