大島奥津島神社(読み)おおしまおくつしまじんじや

日本歴史地名大系 「大島奥津島神社」の解説

大島奥津島神社
おおしまおくつしまじんじや

[現在地名]近江八幡市北津田町

奥島おくのしま山の南麓にある。古くは大島・奥津島の二社が別所に祀られていたが、のち当地に合祀されたとする説もある。祭神は大島神社が大国主おおくにぬし命、奥津島神社は奥津比売おくつひめ命。旧県社。史料上は島郷之大宮・島宮などとも記される。「新抄格勅符抄」に引く大同元年(八〇六)の牒では大島神・奥津島神にそれぞれ封一戸が与えられている。貞観元年(八五九)一月二七日奥津島神が従五位上に叙せられている(三代実録)。同書同七年四月二日条には、元興がんごう(現奈良市)の賢和が「野洲郡奥嶋」の堂舎を島神の神宮寺とすることを請い、許されており、これが当社後方の山中に建てられた別当阿弥陀寺(現廃寺)の始まりとされる。「延喜式」神名帳には蒲生がもう郡大島神社・奥津島神社の二社がみえ、奥津島神社は郡内でただ一つの名神大社

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大島奥津島神社の言及

【奥島】より

…奥島は中世を通じて延暦寺領荘園で,鎌倉時代には荘官と荘民との間で琵琶湖岸の魞(えり),網の設定をめぐって紛争が継続して起きており,南北朝時代以降にも延暦寺が荘民を非法に駆使したことで抗争が繰り返されている。島には長命寺,大島奥津島神社があって,とくに大島奥津島神社の文書は,中世奥島荘民の共同体結合を示す史料として著名である。1262年(弘長2)の荘隠規文には共同体の秩序を乱す悪口を吐く者は,妻女,子息でも荘外へ追放され住宅を焼却されることを定めている。…

※「大島奥津島神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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