コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

大川博 おおかわ ひろし

1件 の用語解説(大川博の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大川博 おおかわ-ひろし

1896-1971 昭和時代の実業家。
明治29年12月30日生まれ。鉄道省事務官から,五島慶太スカウトされ,昭和17年東京急行電鉄にはいる。26年東映の社長となり,時代劇映画黄金時代をきずいた。日本教育テレビ(現テレビ朝日)社長。プロ野球東映フライヤーズを経営した。昭和46年8月17日死去。74歳。新潟県出身。中央大卒。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の大川博の言及

【東映[株]】より

…1951年,東横映画,大泉映画,東京映画配給の3社が合併して設立。設立当初は3社の負債をかかえて不振であったが,初代社長大川博(1896‐1971)は,徹底した予算主義による製作方式を導入,片岡千恵蔵市川右太衛門の二大剣劇スターを軸にした時代劇映画で経営を軌道にのせた。不調であった現代劇も,1953年には反戦映画《ひめゆりの塔》(今井正監督)が大ヒットし,54年には2本立て興行を実施して,娯楽時代劇と現代劇,あるいは大作時代劇を組み合わせるなど,観客層の増大に成功した。…

【日本映画】より

… 大映では,永田雅一(1906‐85)が戦前の第一映画,新興キネマでの経験に基づき,興行的価値を第一とする映画製作を行って,母もの映画路線と《羅生門》(1950),《雨月物語》(1952),《地獄門》(1953)などの文芸色豊かな王朝ものの大作で業績を安定させた。 戦後に生まれた東映では,大川博(1896‐1971)がかつての鉄道マン時代(鉄道省,東急)の経験をもとに,徹底した営利主義を貫いた。《きけわだつみの声》(1950),《ひめゆりの塔》(1953)の大ヒットによる業績安定のあと,大川博は1954年,〈東映娯楽版〉と名づけた中編時代劇を添えて2本立て興行を開始,時代劇路線を発展させて〈時代劇王国〉東映を築くとともに,映画市場の全収益の半分を東映がいただくと豪語して,60年に第二東映(のちにニュー東映と改称)を発足させるに至った。…

※「大川博」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大川博の関連キーワード青木繁吉井上信貴男井村荒喜岩瀬徳三郎蟹江一太郎岸本勘太郎須藤英一郎瀬木博信竹内俊一平木信二

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

大川博の関連情報