大川 逞一
オオカワ テイイチ
大正・昭和期の彫刻家
- 生年
- 明治32(1899)年5月17日
- 没年
- 平成4(1992)年9月18日
- 出生地
- 千葉県
- 学歴〔年〕
- 東京美術学校木彫科〔昭和2年〕卒
- 経歴
- 昭和9年から終戦まで法隆寺の慈思大師像を制作、以後、仏像、肖像の制作を続ける。56年薬師寺の三蔵法師像を完成させた。同じく薬師寺の「苦行する釈迦」座像を制作。中央美術界とは無縁の道を行き、仙人と呼ばれた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
大川逞一 おおかわ-ていいち
1899-1992 大正-昭和時代の彫刻家。
明治32年5月17日生まれ。藤川勇造にまなぶ。大正12年日本美術院太子展入選,昭和9年母校東京美術学校(現東京芸大)の嘱託として法隆寺の国宝仏像を模刻。戦後,ビルマ賠償用の大仏の原型を制作し,日光輪王寺の秘仏を復元した。平成4年9月18日死去。93歳。千葉県出身。号は胤真。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 