日本歴史地名大系 「大庭一番村」の解説 大庭一番村おおばいちばんむら 大阪府:守口市大庭一番村[現在地名]守口市佐太西(さたにし)町二丁目・佐太中(さたなか)町六―七丁目など単に一番村ともいう。現守口市の北端に位置し、北は仁和寺(にわじ)村(現寝屋川市)、西は淀川で限られ文禄堤上を京街道(東海道)が走る。幕府道中奉行が作成した東海道分間延絵図をみると、街道沿いに家並が続き、川岸には「津出シ場」(字天神浜)がある。津出場の街道を挟んだ反対側には佐太天満宮(現佐太神社)の鳥居が立ち、東方へ参道が延びる。佐太天満宮の東に接して宮寺菅相(かんしよう)寺、南には来迎(らいこう)寺があり、来迎寺の南には「永井山城守陣屋」が描かれる。当地には佐太を社名とする神社があること、室町時代から近世初頭には佐太村とよばれていたらしいこと(→大庭)などから、古代の佐太郷(和名抄)の有力な比定地だが、現枚方(ひらかた)市の蹉(さだ)を遺称地とする説もあり確定的ではない。いずれにしろ佐太郷は「和名抄」以外にみえず、当地辺りは奈良時代から大庭の名でよばれてきた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by