大庭政世(読み)オオバ マサヨ

20世紀日本人名事典 「大庭政世」の解説

大庭 政世
オオバ マサヨ

明治〜昭和期の農民運動家 共存病院組合長。 我が国初の産業組合病院の創設者。



生年
明治15(1882)年2月14日

没年
昭和14(1939)年3月20日

出生地
島根県日原町

旧姓(旧名)
小山

学歴〔年〕
京都府立農学校〔明治35年〕卒

経歴
明治36年より愛知県立農業試験場の技師を務める。41年に帰郷し、大正7年青原村産業組合長。8年日本初の産業組合病院である青原組合病院を創設、立ち後れている農村部の医療事業推進のために産業組合を活用することを説いた。13年からは助産事業も展開。その後、産業組合や各団体の役員歴任、それらの実績から、昭和5年産業組合中央会島根支会講師を依嘱され、各地で講演活動を行った。6年には有限責任石西利用組合共存病院の創立理事となり、次いで共存病院の組合長に就任するが、14年公務のため上京する途中、名古屋で客死。著書に「農村産業組合経営論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大庭政世」の解説

大庭政世 おおば-まさよ

1882-1939 明治-昭和時代前期の農民運動家。
明治15年2月14日生まれ。大正8年郷里島根県鹿足(かのあし)郡に日本初の産業組合病院である青原組合病院を開設。医療水準のひくい農村部では,産業組合利用事業の一環として医療事業を実施すべきと提唱した。昭和14年3月20日死去。58歳。京都農学校(現京都府立大)卒。旧姓は小山。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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