大御蔵跡(読み)おおつちおくらあと

日本歴史地名大系 「大御蔵跡」の解説

御蔵跡
おおつちおくらあと

[現在地名]大槌町上町

江戸時代の四日よつか町背後の山際にあり、大槌通代官所の東にほぼ並んで建てられていた。「邦内貢賦記」によれば、蔵は二つで、横五間・長さ八間と横四間・長さ七間。天和三年(一六八三)葺替え、柾は当地調達。元和二年(一六一六)の南部利直請取状(盛岡浜田文書)によると、慶長一七年(一六一二)分の大槌御蔵納米は大槌村以下一一ヵ村の年貢米合計六五六駄二斗一升七合。同一九年分は六四五駄一斗二升七合、うち米四二駄片馬・大豆一二駄五升は江戸送りの御台所米。また藩船乗組みの御水主扶持米などが御蔵からの支出であった(元和四年「浜田彦兵衛宛南部利直扶持渡状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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