江戸幕府が年貢米、大豆などを収納した穀倉で、御米蔵ともいう。江戸城内、本所、浅草のほか京都二条、大坂、摂津高槻(たかつき)、近江(おうみ)大津、駿河(するが)清水(しみず)など全国の幕領にあり、勘定奉行(かんじょうぶぎょう)が管轄し、主要なものには蔵奉行が配され、蔵米の出納、管理にあたった。のち江戸浅草と大坂、京都に集中し三御蔵とよばれた。最大の御蔵は江戸浅草であり、隅田(すみだ)川に面して51棟、250戸前もあり、年間40万石余の旗本・御家人(ごけにん)の俸禄(ほうろく)米の支給と、幕府自らの売却米を江戸市中に放出した。明治維新で新政府に接収され、関東大震災(1923)のおり焼失した。浅草御蔵の前を蔵前(くらまえ)といい、札差らの蔵宿があった。蔵前の地は現在東京都台東(たいとう)区に属する。
[北原 進]
江戸時代,幕府が幕領からの年貢米を収納・保管した倉庫。1620年(元和6)に設置された江戸浅草の御蔵が最大で最重要な米蔵であった。浅草御蔵には,36年(寛永13)にはじめて蔵奉行3名が任命されたといわれるが,実際にはそれ以前に存在した可能性がある。蔵奉行は勘定奉行の支配下に属し,はじめは大番からの出役だったが,やがて勘定方出身者が占めるようになる。江戸ではのち両国・本所にも御蔵が設けられたが,両国御蔵はやがて浅草御蔵に吸収された。畿内では浅草御蔵とともに三御蔵とよばれた大坂・二条の御蔵,および淀・伏見の御蔵があり,いずれも浅草御蔵より早く設置されていた。のち難波・天王寺にも開設された。ほかに長崎・大津にもおかれていたが,大津御蔵は元禄年間に廃止された。
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…また1650年ころの江戸では,火災の際,貴重品をしまう場所として,町家の中に穴蔵を設けることが流行したが,湿気が多いため,あまり普及しなかった。
[正倉,御蔵]
律令制時代には国や郡に正税の稲を納めるための倉を建て,正倉と呼んだ。寺院においても正規の倉を正倉院と呼び,勅許あるいは三綱などの特別の許可がなければ開くことのできない宝物庫を勅封蔵あるいは綱封蔵と呼んでいる。…
※「御蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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