江戸幕府の職制で勘定奉行の配下に属し,幕府米蔵の管理と米穀類の出納を担当した役人。江戸城内,浅草,本所ほか,京都二条,大坂,摂津高槻,近江大津,駿河清水など主要な幕府御蔵の所在地におかれたが,中期以後は江戸浅草,大坂,京都二条の3ヵ所に統括された。江戸では1636年(寛永13)に初めて3名任命され,74年(延宝2)には10名,のち整理されて7名となった。江戸城内では焼火(たきび)間に列し,役料200俵,配下に手代数名のほか蔵番,小揚,杖突,門番等がいた。大坂蔵奉行は1621年(元和7)に2名おかれ,のち3~4名に増員した。役料80石で,一時大坂城代や京都・大坂町奉行の支配下に入ったこともある。京都蔵奉行は25年(寛永2)城番設置とともに3名おかれ,1790年(寛政2)京都町奉行支配から勘定奉行の下におかれた。役料40石のほか配下の構成は江戸とほぼ同様であった。
→浅草御蔵
執筆者:北原 進
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸幕府の職制の一つ。勘定奉行配下に属し、幕府領の年貢米の出納にあたる長官。慶長期には伊奈忠次(ただつぐ)、大久保長安(ながやす)らが個別に江戸城外郭内に米蔵をもっていたが、のち蔵奉行が成立したようである。蔵奉行の初見は1610年(慶長15)で松風助右衛門(まつかぜすけえもん)、紅林弥右衛門(くればやしやえもん)の名がみえる。江戸初期には蔵米(くらまい)と城米(じょうまい)は明確に区別され、蔵奉行と城米奉行が置かれていた。浅草御蔵(あさくさおくら)の成立は1620年(元和6)とされ、管轄する蔵奉行の半数は大番(おおばん)出役であった。浅草御蔵の蔵奉行の管轄地域は東日本に限られ、上方(かみがた)の御蔵には大坂、京都二条、摂津国高槻(たかつき)に蔵奉行が置かれていた。
[大野瑞男]
『大野瑞男著『江戸幕府財政史論』(1996・吉川弘文館)』
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