大徳王寺城跡(読み)だいとくおうじじようあと

日本歴史地名大系 「大徳王寺城跡」の解説

大徳王寺城跡
だいとくおうじじようあと

信濃中世史上に大きな疑問を残している所在地不明の城。城跡の考証については諸説あるが、諸条件を総合すると、近世高遠城の位置と推察できる。

「守矢貞実手記」(守矢文書)によると、暦応三年(一三四〇)、北条高時の二男時行は諏訪社上社大祝頼継(嗣)従えて伊那郡大徳王寺城にたてこもり、信濃守護小笠原貞宗の軍と戦ったことが記されている。頼嗣は同年六月二四日挙兵、貞宗に攻められて一〇月二三日に落城するという戦であったが、ほかに関係史料が全くないので、「守矢貞実手記」の史料性についても問われるところであるが、当時、時行の挙兵が起こりえたこと、またそれは信濃の宮方の勢力地盤でなくてはならないこと、府中(筑摩)から余り離れていないこと、六月から一〇月にもわたる長期の籠城ができる地形を要すること等考え合わすと、高遠城の位置が最適と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 筑摩

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む