日本歴史地名大系 「高遠城跡」の解説
高遠城跡
たかとおじようあと
藤沢川の谷は諏訪大社上社の背後にあり、「吾妻鏡」によれば文治二年(一一八六)既に諏訪社領であり、その後も諏訪氏の勢力が浸透し、その一族が移り住んで高遠氏を名乗るようになった(神氏系図・諏訪家譜)。
守矢満実書留(守矢真幸氏蔵)の文明一四年(一四八二)六月三〇日の条に「伊那
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
藤沢川の谷は諏訪大社上社の背後にあり、「吾妻鏡」によれば文治二年(一一八六)既に諏訪社領であり、その後も諏訪氏の勢力が浸透し、その一族が移り住んで高遠氏を名乗るようになった(神氏系図・諏訪家譜)。
守矢満実書留(守矢真幸氏蔵)の文明一四年(一四八二)六月三〇日の条に「伊那
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