20世紀日本人名事典 「大本百松」の解説
大本 百松
オオモト ヒャクマツ
明治〜昭和期の実業家 大本組創業者。
- 生年
- 明治24(1891)年2月17日
- 没年
- 昭和36(1961)年8月9日
- 出生地
- 岡山県浅口郡鶴新田村(現・倉敷市)
- 学歴〔年〕
- 西ノ浦尋常高等小学校卒
- 主な受賞名〔年〕
- 藍綬褒章〔昭和30年〕
- 経歴
- 明治40年17歳の若さで土木請負業の大本組を設立。備後船渠の技師長であった三上英果の薦めで、大正7年兵庫県相生に本社を置く。以後、播磨造船所の指定請負人などを務めて経営の基盤を固め、昭和8年には本社を岡山市に移転、12年には同組を株式会社とし、社長に就任した。太平洋戦争中には戦時体制の強化に乗じて業務を拡大し、函館船渠株式会社室蘭ドックや陸軍省宇品ドックの建設を担当。戦後も圧気潜函工法やポンプ船のディーゼル化などの新工法を用いて工事に当たり、大いに社を発展させた。30年藍綬褒章を受章。また、社会事業にも関心を持ち、大正12年には水力発電所工事で得た利益の一部を割き、郷里鶴新田に電灯を寄附した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報