日本歴史地名大系 「大森山」の解説 大森山おおもりやま 静岡県:裾野市深良村大森山[現在地名]裾野市深良鎌倉公方奉公衆大森氏の本領で、従来「駿河記」により、深良(ふから)の浄土宗大森山西安(さいあん)寺の所在地付近に比定され、同寺南東の堀(ほり)ノ内(うち)ないし北東の城(じよう)ヶ尾(お)辺りと考えられている。康暦二年(一三八〇)六月八日の鎌倉公方足利氏満御判御教書(円覚寺文書)に「大森・葛山関務」とみえるが、ここでの関務とは大森氏担当関を意味し、大森関という地名を表すものでない。応永二三年(一四一六)の上杉禅秀の乱に際し、鎌倉公方足利持氏が大森頼春の兄弟にあたる箱根別当証実の庇護を受け(「鎌倉大草紙」など)、「当国駿河大森」(「満済准后日記」同年一〇月一八日条)、「大森之館」(八幡愛染王御修法雑記)に落延びている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by