大河内城跡(読み)おかわちじようあと

日本歴史地名大系 「大河内城跡」の解説

大河内城跡
おかわちじようあと

[現在地名]松阪市大河内町 城山

比高約五〇メートルの丘陵上にある。東の丘陵裾を坂内さかない川が洗い、北に矢津やづ川が流れ、西と南側に深く谷が刻まれて天然の要害をなしている。「伊勢国司記略」によれば、伊勢国司北畠満雅が北朝方の足利軍と応永二二年(一四一五)に一戦を交えようとしたとき、弟顕雅をこの城に籠らせて以後、顕雅の子孫が代々大河内御所を称して、北畠氏の南伊勢支配の有力な一拠点となったという。織田信長が永禄一二年(一五六九)に南伊勢を攻めた折、北畠具教本拠霧山きりやま(現一志郡美杉村)から当城に移して信長軍を迎え撃った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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