日本歴史地名大系 「大浜間切」の解説 大浜間切ほーままぎり 沖縄県:八重山諸島石垣市大浜間切近世八重山の行政区画の一。正保国絵図にはヲハマの訓が付される。両島絵図帳では石垣島の南部中央に位置し、南北二里・東西二四町、北は川平(かびいら)間切、東は宮良(めーら)間切、西は石垣(いしやなぎい)間切に接し、南は海。大浜(ほーま)・平得(ぴいさい)の二村があり、高一千四〇四(一千四四の誤りか)石余。寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳によると高一千四四石余で、うち田方七四四石余・畠方二五〇石余・桑役四九石余。崇禎元年(一六二八)の三間切制移行で石垣島の大浜村・崎原(さきいばる)村・大城(ふーすく)村・白保(しいさぶ)村・桴海(ふかい)村・平久保(ぺーぶぐ)村(現石垣市)、鳩間(ぱとうま)村(島)、与那国(どうなん)村(島)、西表(いりおもて)島の西表(いりむてい)村・慶田城(きだすく)村(以上現竹富町)の一〇ヵ村が大浜間切となったが(八重山島年来記)、納米粟高などは不明。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報