大浦慶(読み)おおうら・けい

朝日日本歴史人物事典 「大浦慶」の解説

大浦慶

没年:明治17.4.17(1884)
生年:文政11.6.19(1828.7.30)
幕末明治期の女性茶貿易商。長崎油屋町生まれ。家業は数代続いた油屋で,貿易への転機は油屋へ油を求めにくる居留地商との付き合いで外国の魅力に引かれたのがきっかけといわれる。嘉永6(1853)年オランダ人商人テキストルから外国人の茶の好みを聞き,いくつかの嬉野茶見本を英,米,アラビアへ送った。3年後英国人商人オールトが巨額の注文を持ってきたのに対し,ようやく1万斤を買い集めて渡した。また肥後藩士遠山一也に煙草取引を頼まれ仲介したが,遠山が違約したので,慶は外国商より訴えられたが,弁償金6000両を払って一件落着。油屋町の屋敷の2階には大隈重信らの部屋があったといわれ,坂本竜馬海援隊にも援助をおしまなかった。茶箱に隠れてインドへ渡ったなどのエピソードもある。茶輸出功績で農商務卿より金20円を賜る。<参考文献>『大浦慶一件書類』

(武野要子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大浦慶」の意味・わかりやすい解説

大浦慶
おおうらけい
(1828―1884)

幕末・維新期の女性貿易商で日本茶輸出の開拓者。肥前国(長崎県)生まれ。オランダ通詞(つうじ)品川藤十郎の紹介で、出島(でじま)在留のオランダ人テキストルに肥前嬉野(うれしの)茶の販路開拓をもちかけた。1853年(嘉永6)ついにトランクに身を隠して国外脱出に成功、清(しん)国上海(シャンハイ)に渡り製茶・交易法を学び、帰国後、日本茶の輸出を実現させた。多くの利益を得たが、坂本龍馬(りょうま)、高杉晋作(しんさく)らの幕末の志士に援助を惜しまなかったことでも知られている。

[加藤 章]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大浦慶」の解説

大浦慶 おおうら-けい

1828-1884 幕末-明治時代の貿易商。
文政11年6月19日生まれ。肥前長崎の油商大浦太平次の娘。嘉永(かえい)6年オランダ商人テキストルを通じて,嬉野(うれしの)茶の見本をイギリス,アメリカ,アラビアにおくる。3年後,イギリス人商人から大量の注文があり,九州各地から1万斤(6t)をあつめて輸出。長崎在住の実業家グラバーと親交をむすび,坂本竜馬,大隈重信らを援助し,「大浦のお慶さん」としてしたしまれた。明治17年4月17日死去。57歳。

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