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坂本竜馬 さかもとりょうま

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知恵蔵2015の解説

坂本竜馬

幕末の志士。ペリー来航を背景に尊皇攘夷(じょうい)運動が高まる中、多くの人士と交流し、攘夷論を超えた国際的視野に立つ日本の未来像を描いた。脱藩と帰藩を繰り返す中で、勝海舟の神戸海軍操練所開設に尽力、若手浪人を集めて海軍創設と海上交易による株式会社設立の構想を持った。1865(慶応元)年には薩摩藩の援助の下、長崎で亀山社中を設立。対立関係にあった薩摩・長州両藩を実利で結び、66年薩長同盟が成立、倒幕への大きな布石となる。社中は土佐藩参政の後藤象二郎の尽力で、土佐藩づき商社であり海軍教育施設としての海援隊へと昇華した。倒幕後の新政府案を後藤と構想したものがいわゆる「船中八策」と呼ばれ、後藤から土佐藩を通じて幕府に建白、67年に徳川慶喜をして大政奉還をせしめるに至った。その一月後、日本の未来を見ぬまま凶刃に倒れた。暗殺犯については諸説ありいまだ謎を残す。
1904(明治37)年、日露戦争のとき明治天皇の皇后美子(はるこ)(昭憲皇太后)の夢枕に坂本龍馬が立ち、皇国海軍の守護を告げたとされる新聞記事が世間をにぎわせた。龍馬の事跡はこれに先立つ1883年には坂崎紫瀾著の伝記的小説『汗血千里駒』として一般人の知るところとなっていた。以後龍馬の伝記、小説の類は連綿として出版され続ける。国会図書館収集の龍馬関係書籍は検索システムによれば400件を超え、龍馬を登場させる映画、演劇、TV番組も枚挙にいとまがない。
現代的龍馬像を作り上げたのは、歴史小説司馬遼太郎氏の功績が大である。長編大作『竜馬がゆく』は1962(昭和37)年から4年間にわたり産経新聞に連載され、一大龍馬ブームを巻き起こした。68年には大河ドラマ(北大路欣也主演)となった。司馬氏は龍馬関連の膨大な史料を読み込み、生身といっていい人間像立ち上げた。土佐の商人郷士の家に生まれたことで培われた経済感覚、旧弊な身分制度にとらわれぬ自由闊達(かったつ)さ。幕末日本を縦横無尽に飛び回る行動力、情報収集力、人脈形成術の見事さ。藩、攘夷・佐幕といった国内的視野に終始せず、海外に目を向けた進取の姿勢。身分ではなく志の重視。さらには、海難事故の処理に見られる絶妙の危機管理など、司馬氏の人物描写によって生み出された新しい龍馬像は政治家、経営者などのリーダーシップの理想像とされ、歴史雑誌のみならず経済誌などにも他の戦国武将などと並び、たびたび取り上げられるようになった。
2010年1月から放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」放送決定から、何度目かの龍馬ブームがおきている。人気俳優・歌手である福山雅治が龍馬を演じること、09年頃からの歴女、歴ドルブームなど歴史を愛好するムードともあいまって、老若男女問わず注目を集めている。09年末に行われたある調査会社による15歳~59歳までの2千人に対するモバイルリサーチでは、龍馬の知名度は99.4%に達し、「尊敬する」と答えた人も41.6%にのぼるなど、龍馬の国民的人気が証明された。全国には龍馬ファンクラブ・研究会である「龍馬会」が120以上存在し、歴史愛好を超えた人々の交流の場となっている。
なお、高知市桂浜に立つ龍馬像は、昭和3年に地元青年有志の尽力で建てられたものである。03年11月15日より高知空港は愛称を高知龍馬空港とした。背景には高知県の経済団体など有志が郷土の英雄の名をリニューアルする空港に冠したいとして署名活動などを行い県への働きかけがあった。日本では人名を冠した初の空港となった。
生年は天保6年11月15日(1836年1月3日)で、没年は慶応3年11月15日(1867年12月10日)。

(椎崎亮子  フリーライター / 2010年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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デジタル大辞泉の解説

さかもと‐りょうま【坂本竜馬】

[1836~1867]幕末の志士。土佐藩士。名は直柔(なおなり)。千葉周作道場に剣を学び、のち脱藩し、勝海舟に師事。慶応2年(1866)薩長同盟成立に尽力。前土佐藩主山内豊信(やまうちとよしげ)を説いて大政奉還を成功させたが、京都で暗殺された。

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百科事典マイペディアの解説

坂本竜馬【さかもとりょうま】

幕末の尊攘(そんじょう)派の志士。土佐高知藩の郷士。変名は才谷梅太郎。1853年江戸に出て千葉周作の弟に剣を学ぶ。武市瑞山らの土佐勤王党に入るが,1862年高知藩の政策にあきたらず脱藩し,勝海舟の門に入り神戸海軍操練所の設立に努力した。(1835-1867)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

坂本竜馬 さかもと-りょうま

1836*-1867 幕末の武士。
天保(てんぽう)6年11月15日生まれ。家は土佐高知城下の郷士。文久元年土佐勤王党にくわわり,翌年脱藩して勝海舟の門にはいって航海術などをまなび,開国論にめざめる。神戸海軍操練所の塾頭をつとめる。慶応元年長崎で亀山社中(のちの海援隊)をつくり海運・貿易に従事。2年西郷隆盛と木戸孝允(たかよし)の間をとりもち薩長同盟を成立させる。「船中八策」の構想のもとに幕府の大政奉還を実現させ,新統一国家の建設を目ざしたが,慶応3年11月15日京都近江屋で中岡慎太郎とともに暗殺された。33歳。名は直陰,のち直柔(なおなり)。変名は才谷梅太郎。
【格言など】左様さ,世界の海援隊でもやらんかな(竜馬がまとめた「新政府綱領」に,本人の役職がないのを西郷に問われて)

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朝日日本歴史人物事典の解説

坂本竜馬

没年:慶応3.11.15(1867.12.10)
生年:天保6.11.15(1836.1.3)
幕末の志士。土佐の町人郷士の次男として高知城下に生まれた。父は直足。竜馬は通称で,名は直陰,のち直柔。変名では才谷梅太郎が特に知られる。嘉永6(1853)年ペリー来航時には江戸の千葉道場で剣を学んでいた。帰国後は絵師河田小竜から海外の知識などで影響を受けたが,半面では尊攘派の武市瑞山とも交流を深め,文久1(1861)年武市の土佐勤王党結成に参画した。しかし翌2年の勤王党による吉田東洋暗殺には加わらず直前に脱藩し,諸国を放浪したのち江戸に出て勝海舟の門に入った。この第1次脱藩は海舟と山内容堂との交渉で免除され,3年4月に海舟が神戸海軍操練所の設立許可と神戸に海軍塾を開くこと勝手次第の許可とを得ると,一時期は神戸を拠点として京坂の間を奔走し,尊攘激派朝廷と神戸海軍を結びつける構想を練ったが,同年の8月18日の政変で挫折した。同年末には帰藩命令を拒否して再脱藩の身となり,元治1(1864)年正式発足する幕府の操練所には入れなかった。神戸の外に生きる道を求めて北海道開発計画など様々な選択肢を検討,同年海舟が江戸に召還されて軍艦奉行を罷免されるのと前後して薩摩藩の庇護下に入る方針を固め,慶応1(1865)年土佐脱藩の仲間を中軸に長崎で亀山社中を結成した。船を運用しての商業活動と,討幕のために薩摩と長州を結びつける政治活動とを重ね合わせ,2年1月には京都で薩長同盟を結ばせることに成功し,木戸孝允に求められて協約内容の裏書きをした。その木戸の助言もあって3年には土佐藩との関係を修復して4月海援隊を創設する。後藤象二郎と共に練った「船中八策」が土佐藩の大政奉還建白を引き出し,それが10月の徳川慶喜の大政奉還として実現したため討幕派とは乖離したかにみえる。奉還後の政治体制について画策中の京都で襲われて中岡慎太郎と共に斬られた。<参考文献>平尾道雄『坂本竜馬 海援隊始末記』,山田一郎『坂本竜馬―隠された肖像―』

(松浦玲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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デジタル大辞泉プラスの解説

坂本竜馬

山岡荘八の歴史小説。1956年刊行。

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世界大百科事典 第2版の解説

さかもとりょうま【坂本竜馬】

1835‐67(天保6‐慶応3)
幕末の志士。本名は直柔(なおなり),別名は才谷梅太郎。高知城下の町人郷士の家に生まれ,維新の指導者としてその前夜に暗殺されるまでの軌跡には曲折があった。第1は尊攘志士に成長する時代である。町人郷士の次男でありながら,19歳のとき(1853)江戸へ剣術修業に赴き,ペリー来航に直面して政治にも目ざめ,1861年(文久1)武市瑞山が勤王党を結成するやただちにこれに加盟し,尊攘志士として活躍を開始した。ところが翌年3月脱藩するや,勝海舟の下で,第2の近代航海術を修業する時代へと方向は変化した。

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大辞林 第三版の解説

さかもとりょうま【坂本竜馬】

1835~1867) 幕末の志士。名は直柔なおなり。土佐藩士。脱藩して勝海舟の門に入り,海軍操練所設立に尽力。また海援隊を組織。薩長同盟締結を仲介して倒幕派を結集,前藩主山内容堂を説き,大政奉還を成功させたが,京都で幕吏に暗殺された。

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世界大百科事典内の坂本竜馬の言及

【海援隊】より

…幕末期の長崎における坂本竜馬を中心とする組織。貿易,海運などを業としながらも倒幕運動への参加を企図した政治集団。…

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