日本歴史地名大系 「大滑村」の解説 大滑村おおぬかりむら 栃木県:塩谷郡喜連川町大滑村[現在地名]喜連川町穂積(ほづみ)高畑(たかはた)村の東に位置する山村。地名の由来は、昔浄法(じようほう)寺大日堂(現那須郡小川町遍明院)建立のため、南隣一本木(いつぽんぎ)村の欅の巨木を伐って運んだが、途中の村がぬかるみで滑って難渋したので大滑といい、その先少し滑ったところを小滑とよぶようになったと伝えている。那須郡に属し、元禄郷帳によると高九二石余、幕府領(幕末に至る)。天明飢饉以後、農民の窮乏は激しかったが、北陸からの移民が当村にも入植し、幕末復興に努めている。明治元年(一八六八)の村鑑帳(川上豊文書)でも高九二石余、うち三一石余は新田高。なお延宝六年(一六七八)の那須氏による検地帳があると記されるので、貞享四年(一六八七)までは那須氏領(天和元年烏山入封)、同年烏山藩廃絶により上知、幕府領となったものとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by