大炊御門家(読み)おおいみかどけ

改訂新版 世界大百科事典 「大炊御門家」の意味・わかりやすい解説

大炊御門家 (おおいみかどけ)

藤原氏北家の流れ。清華家の一つ。平安時代末の関白藤原師実の第3子経実を始祖とし,その子藤原経宗の邸宅大炊御門富小路西邸にちなんで大炊御門を家号とした。経実は大納言で没したが,その女懿子は後白河天皇の後宮に入って二条天皇の生母となり,経実は天皇の外祖父として勢力をふるい,没したのち太政大臣を贈られた。その子経宗も二条天皇の外舅として権力の座につき,一時後白河上皇の怒りをこうむって阿波に配流されるが,のち召還され,ついで大臣に在ること26年,左大臣を極官とした。さらにその子頼実も,女の麗子が土御門天皇皇后となり,のち陰明門院と号したが,みずからも太政大臣に補任され,以後代々大臣に補任されるのが例となった。鎌倉時代の日記《吉続記》に,当家は〈代々有職の家〉とあるが,和琴,笛,筆道を家業とした。江戸時代の家禄は400石余。1884年華族令の制定侯爵。なお徳大寺公能も大炊御門と号し,御子左流の藤原忠成の一流も大炊御門家という。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大炊御門家の言及

【清華家】より

…家格は平安時代末から徐々に形成され,鎌倉時代にほぼ固定して七清華といわれた。すなわち三条家(俗称,転法輪)をはじめ,西園寺家およびその分流の今出川(菊亭)家徳大寺家(以上,閑院家流),また花山院家および大炊御門(おおいみかど)家(以上,花山院流)の藤原氏北家の流れをくむ6家に,源氏の久我(こが)家を加えた7家をいう。ところが江戸時代の初め,一条昭良(後陽成天皇の皇子)の男冬基が醍醐家を,また八条宮智仁親王の子忠幸が広幡家を興し,ともに清華家に列せられ,九清華となったが,この両家より太政大臣に昇った例はない。…

※「大炊御門家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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