大生部兵主神社(読み)おおいくべひようすじんじや

日本歴史地名大系 「大生部兵主神社」の解説

大生部兵主神社
おおいくべひようすじんじや

[現在地名]但東町薬王寺 宮内

薬王寺やくおうじ集落の東部、神懸かんがけ峠にほど近い江笠えがさ山の南西麓に位置する。健速須佐之男神を祀り、旧県社。かつては牛頭天王社とよばれて牛馬の神として近隣の崇敬を集め、現在も薬王寺天王社の別称がある。「兵庫県神社誌」によれば、用明天皇皇子麻呂子親王は丹後竹野たけの郡の賊を退治するために江笠山に鎮座する牛頭天王に祈願し、天武天皇一二年(六八三)には社地を移して牛頭天王を祀ったという。さらに斉衡元年(八五四)現在地に遷座し、貞観年中(八五九―八七七)社殿を造営したとする。一方、中世まで当社別当寺であった薬王寺(現廃寺)縁起である高峰山薬王寺縁起(兵庫県神社誌)などによれば、同寺は斉衡元年薬師如来とその守護神牛頭天王を祀る堂舎を建立、同時に江笠山に祀られていた素盞嗚尊を境内に迎えたことに始まるといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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