大田黒重五郎(読み)オオタグロ ジュウゴロウ

20世紀日本人名事典 「大田黒重五郎」の解説

大田黒 重五郎
オオタグロ ジュウゴロウ

明治〜昭和期の実業家



生年
慶応2年6月(1866年)

没年
昭和19(1944)年7月28日

出生地
東京・音羽

学歴〔年〕
東京高商〔明治23年〕卒

経歴
明治24年熊本の旧家大田黒惟信の婿養子となり、27年三井元方に入社三井物産に配属された。32年芝浦製作所主事となり、万年赤字を解消、翌年下期から黒字に転じ、電気機械専門工場に育成した。37年専務取締役となり米国GE社と結んで業界トップメーカーとした。また水車専門の電業社原動機製作所を育成した。39年箱根水力電気を設立、大井川開発の日英水力電気、九州水力電気、鬼怒川水力電気、四国水力電気などの各社設立に参画。大正9年に三井を辞め、昭和5年九州電気軌道社長となり整理再建に成功した。10年6月引退。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大田黒重五郎」の解説

大田黒重五郎 おおたぐろ-じゅうごろう

1866-1944 明治-昭和時代前期の実業家。
慶応2年6月生まれ。大田黒元雄の父。明治27年三井にはいる。32年から芝浦製作所の再建に尽力し,37年同社専務となる。39年箱根水力電気をつくり,以降九州水力電気,四国水力電気など各地の水力電気会社の設立にかかわった。昭和19年7月28日死去。79歳。江戸出身。高等商業(現一橋大)卒。旧姓小牧

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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