日本歴史地名大系 「大矢知村」の解説 大矢知村おおやちむら 三重県:四日市市北部地区大矢知村[現在地名]四日市市大矢知町・川北(かわきた)一丁目・同三丁目・下(しも)さざらい町・蒔田(まきた)四丁目朝明(あさけ)川の南の台地にあり、西方は低い丘陵。対岸に広永(ひろなが)村があり、東は下之宮(しものみや)村。「神鳳鈔」に「大矢智御厨十丁」と出る。神宮領は、天正一一年(一五八三)の内宮神領本水帳写にも「四石六斗 井水新八総内 大やち」とあり、この頃まで残存していた。同一二年頃の織田信雄分限帳では、長木某がこの地で三三〇貫文を知行。江戸時代は初め桑名藩領、文政六年(一八二三)以降忍(おし)(現行田市)藩領、その後一時幕府領になったと考えられるが、再び忍藩領となり明治維新に至った。慶安郷帳(明大刑博蔵)・元禄郷帳では枝郷として山副(やまぞえ)村が出るが、宝永八年(一七一一)以前に本村に合併した。同年の村指出帳(徳川林政史蔵)によれば、村高のうち二三石余は「寅午巳丙之起」で面積は畑方三町八反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by