大石進(読み)おおいしすすむ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大石進」の意味・わかりやすい解説

大石進
おおいしすすむ
(1797―1863)

江戸末期の剣術家。大石神影(しんかげ)流刀術を創始。名は種次(かずつぐ)、通称進(すすむ)、武楽と号した。筑後(ちくご)国三池郡宮部村(福岡県大牟田(おおむた)市内)の生まれ。大石家は祖父種芳(かずよし)の代から柳川藩の兵法師範(30石)を勤め、進は幼時より父太郎兵衛種行(かずゆき)に従って、タイ捨(しゃ)新陰流系の神影流と宝蔵院流の槍術(そうじゅつ)を並修し、1825年(文政8)29歳のとき、父の跡を継いで兵法師範となった。6尺余の巨躯(きょく)の持ち主で、従来の稽古法に飽き足らず、5尺3寸(1.6メートル)もある長竹刀(ながしない)や13本穂の面金(めんがね)、竹腹巻(はらまき)(胴)、半(短)小手(ごて)などを考案し、諸手突(もろてつ)き、片手突き、胴斬(ぎ)りなどの試合技をくふうし、とくに左片手突きを得意とした。

 1832年(天保3)江戸に出て長竹刀旋風を巻き起こし、諸道場を撃破して一躍剣名を知られた。7年後再度出府したが、すでに長竹刀に対する研究も進み、失意のうちに江戸を去ったという。2代目進種昌(かずまさ)(1824―78)もまた父親に似て名剣士とうたわれた。

[渡邉一郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「大石進」の解説

大石進

没年:文久3.11.19(1863.12.29)
生年:寛政9(1797)
江戸後期の剣術家。諱は種次,のち七太夫。武楽と号した。筑後国(福岡県)三池郡に生まれた。父の種行は柳川藩槍術指南役で,進が家督を継いだころは剣術指南役。進は小田切通雲に新陰流を学んだが,幼少から父に学んだ槍術技をとり入れ,独自の剣技(大石神影流)を編んだ。身長2mともいわれる体躯から繰り出す5尺3寸(1.6m)の長竹刀の突きは,藩中随一であった。天保3(1832)年ころ,江戸に出て男谷精一郎(直心影流),白井亨(天真一刀流)を除く各道場を撃破し,一躍名声を高めた。その活躍ぶりについて,のちに勝海舟は「ご一新以上の騒ぎだった」と語ったとされる。が,長竹刀を使う突き技は実戦では用をなさないと疑問視する声もなくはなかった。天保10(1839)年柳川藩は加増して70石を与えている。

(加来耕三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大石進」の解説

大石進 おおいし-すすむ

1797-1863 江戸時代後期の剣術家。
寛政9年生まれ。筑後(ちくご)(福岡県)柳河(やながわ)藩士。祖父種芳と父種行に槍術(そうじゅつ),剣術をまなび,大石神影流を創始。長竹刀による突きを得意とし,天保(てんぽう)3年江戸にでて,千葉周作,白井亨(とおる)らと互角の勝負をして評判となった。文久3年11月19日死去。67歳。名は種次。通称は別に七太夫。号は武楽。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android