朝日日本歴史人物事典 「大窪昌章」の解説
大窪昌章
生年:享和2(1802)
江戸後期の本草家。本姓は志村,幼名は舒弥,舒三郎。尾張(名古屋)に生まれ,尾張藩士で本草家の大窪薜茘庵の養子となる。文政7(1824)年その家を継ぎ馬廻組に列する。天保7(1836)年御薬園出役となり東美濃,信濃に採薬し『濃州信州採薬記』をつくる。水谷豊文の学風を受けつぎ,大河内存真,伊藤圭介,吉田高憲(雀巣庵)らと共に本草研究の結社・尾張嘗百社を創立,その幹事を務める。精巧な線画の本草図を描き,印葉図を得意として図集『大窪先生真影本草』『本草摺影』を残した。動物もよく描き,『蛛類図説』はシーボルトが帰国の際に持ち帰っている。<著作>『大窪虫譜』『伊吹山採薬記』
(遠藤正治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報