大興寺村(読み)だいこうじむら

日本歴史地名大系 「大興寺村」の解説

大興寺村
だいこうじむら

[現在地名]石鳥谷町大興寺

葛丸くずまる川上流、円森まるもり山麓に位置し、北は大瀬川おおせがわ村・富沢とみさわ村。かつては長谷堂はせどう村・松林寺しようりんじ村と一村葛岡くずおか村と称したという(管轄地誌)。元和八年(一六二二)一〇月二五日の南部利直蔵入物成申付状(花巻宗青寺文書)に大興寺の地名が記される。「雑書」寛永二一年(一六四四)四月二七日条に「稗貫之内大光寺山野火」とある。正保三年(一六四六)二月二二日条によれば、村内に「五十目兵庫助跡敷之知行」一〇〇石があったが、前年に召上げられている。正保国絵図に村名があり、高三六一石余。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付では蔵入高二一七石余、七ヵ年平均の免は四ツ一毛。


大興寺村
だいこうじむら

[現在地名]知多市大興寺

南を矢田やた(現常滑市)南粕谷みなみかすや村に接する。

「寛文覚書」によれば、概高四九五石余、田二四町五反・畑四町二反四畝余、家数四一、人数二九〇。源敬様御黒印写(徳川林政史蔵)によると、寛永元年(一六二四)に稲葉主計頭の全村に及ぶ三四六石余があった。「知多郡之記」には特産として薩摩芋を記す。

大興寺について、「寛文覚書」は岡田おかだ慈雲じうん寺の末寺で、竜雲山大興寺とあり、「雑志」は「開基一色太郎範氏、開山夢窓国師」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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