観世清孝(読み)かんぜきよたか

精選版 日本国語大辞典 「観世清孝」の意味・読み・例文・類語

かんぜ‐きよたか【観世清孝】

幕末・明治期の能楽師シテ方。観世流宗家二二世。能楽故実の研究家としても有名天保八~明治二一年(一八三七‐八八

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「観世清孝」の解説

観世清孝 かんぜ-きよたか

1837-1888 幕末-明治時代の能楽師シテ方。
天保(てんぽう)8年生まれ。観世清長の子。嘉永(かえい)5年宗家22代をつぐ。明治維新のとき徳川慶喜にしたがい静岡に移住したが,明治7年帰京。能の故実の研究家としても知られた。明治21年2月11日死去。52歳。江戸出身。通称は三十郎。

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世界大百科事典(旧版)内の観世清孝の言及

【観世流】より

…その後,梅若妙音大夫や梅若玄祥らが出,観世大夫のツレを務めるなどし,織田信長,徳川家康の後援を受け,江戸時代は観世座のツレの家として公認された。維新の際,離京した観世清孝に代わって孤塁を守った梅若六郎(のちの初世梅若実)は,しだいに流勢を挽回し,くろうと・しろうとの門弟にみずから免状を発行するに至った。これは旧来家元の有していた特権を侵したことになる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」