大見郷(読み)おおみごう

日本歴史地名大系 「大見郷」の解説

大見郷
おおみごう

現中伊豆町一帯、大見川流域に所在した郷(庄)。鎌倉時代の在地武士大見氏の名字の地。「曾我物語」によると、曾我兄弟の父河津祐泰(祐通・助通)を射殺した大見小藤太成家は大見庄の出身とされる。大見氏は「吾妻鏡」にも散見する。治承四年(一一八〇)八月の石橋山合戦に従った武士のなかに大見平次家秀・同(宇佐美)平太政光・同(宇佐美)平次実政などの名があり(同月二〇日条)、同年一〇月二三日の論功行賞で家秀・実政は源頼朝から本領を安堵されている(同日条)。そのほか大見左衛門尉実景(嘉禎三年四月二三日条)・四郎左衛門尉行定(寛元元年七月一七日条)・五郎忠景(正嘉元年一〇月一日条)などの名がみえる。応安六年(一三七三)四月五日の管領細川頼之奉書(上杉家文書)に「伊豆国大見郷土肥宮内少輔入道跡」とあり、替地の不足分の一つとして上杉兵部少輔能憲に給与され、当郷は上杉氏の所領となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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