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上杉憲忠 うえすぎ のりただ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

上杉憲忠 うえすぎ-のりただ

1433-1455* 室町時代の武将。
永享5年生まれ。上杉憲実の子。鎌倉公方(くぼう)足利持氏をほろぼした(永享の乱)のち,父とともに出家。長尾景仲らの要請で還俗(げんぞく)し,文安5年関東管領となる。のち持氏の子成氏(しげうじ)が公方に就任すると対立。享徳3年12月27日成氏邸で結城成朝(ゆうき-しげとも)らに殺された。22歳。初名は竜忠。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

上杉憲忠

没年:享徳3.12.27(1455.1.15)
生年:永享5(1433)
室町時代の武将。関東管領。憲実の子。幼名竜忠。右京亮。永享11(1439)年に鎌倉公方足利持氏が滅亡し,その責を負って隠退した父憲実の命により出家したが,長尾景仲らに擁立されて還俗,憲忠と名乗り文安5(1448)年には関東管領となった。しかしほぼ同時に公方となった足利成氏(持氏の子)との対立は深刻化し,享徳3(1454)年の暮れ,成氏の鎌倉西御門の御所に招かれて謀殺され,22歳の短い生涯を閉じた。

(山田邦明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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