20世紀日本人名事典 「大谷光瑩」の解説 大谷 光瑩オオタニ コウエイ 明治期の僧侶 真宗大谷派(東本願寺)第22世法主;伯爵。 生年嘉永5年7月27日(1852年) 没年大正12(1923)年2月8日 出生地京都 別名幼名=光養丸,法号=現如,雅号=愚邱 経歴万延元年(1860年)得度。明治3年北海道に渡り、開拓・開教事業を推進した。5年欧州を視察、教団近代化の見分をひろめる。22年真宗大谷派(東本願寺)第22世法主となり、28年本堂、大師堂の再建事業を成し遂げた。29年伯爵。41年法主を子の光演に譲り、引退した。大僧正。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大谷光瑩」の解説 大谷光瑩 おおたに-こうえい 1852-1923 幕末-明治時代の僧。嘉永(かえい)5年7月27日生まれ。大谷光勝の5男。真宗大谷派。文久3年大僧正となる。明治3年門徒をひきいて北海道にわたり,布教と開拓にあたる。5年石川舜台らとヨーロッパを視察。22年東本願寺22世となり,本堂,御影堂を再建した。大正12年2月8日死去。72歳。京都出身。幼名は光養丸。法号は現如,愚邱。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「大谷光瑩」の解説 大谷 光瑩 (おおたに こうえい) 生年月日:1852年7月27日明治時代の僧侶。真宗大谷派東本願寺法主;二十二代1923年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by