日本歴史地名大系 「大豆新田村」の解説 大豆新田村だいずしんでんむら 新潟県:上越市旧高田市地区大豆新田村[現在地名]上越市大豆・国府(こくふ)三丁目春日(かすが)村の東に位置し北陸街道(加賀街道)が通る。戦国時代の春日山(かすがやま)城下春日町の中心地域であったと推定され、正徳年間(一七一一―一六)高田町各町記録(榊原家文書)の春日町の項に「春日山ニ而茂今の大豆新田村ト申所春日町ニ而有之由申伝候」とある。小字名に鉄砲町(てつぽうまち)・伊豆殿(いずでん)・四ッ屋(よつや)・長恩寺(ちようおんじ)・土井(どい)ノ内(うち)・柳大門(やなぎだいもん)・愛宕谷(あたごだに)・土橋(つちはし)・カギ田(た)などがあり、いずれも春日山城下時代に関連するものであろう。鉄砲町は天和三年(一六八三)の検地帳(森本家蔵)にみえ、上杉謙信時代に鉄砲を製造した場であったか、上杉景勝時代段母衣鉄砲衆高山与太郎組の居住地であったものであろう。伊豆殿は荒川伊豆守の館があったことに由来するといわれている。伊豆守は、永禄二年(一五五九)一〇月長尾景虎が京都より帰国した際、諸将が太刀を贈って祝しているが、そのなかに披露太刀の衆(国衆)の一人として登場している(「御太刀之次第」上杉家文書)。天正三年(一五七五)の軍役帳(同文書)には荒川弥次郎の名でみえ、鑓三二丁・手明一〇人・鉄砲二丁・大小旗三本・馬上五騎の軍役を負担。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報