日本歴史地名大系 「大財聖堂跡」の解説 大財聖堂跡おおたからせいどうあと 佐賀県:佐賀市中佐賀郷大財村大財聖堂跡[現在地名]佐賀市大財一丁目現在は記念碑を残すのみであるが、堀跡に当時をわずかにしのぶことができる。城下からは北東の外れにあたる。文治政治と商人の経済的進出を背景に、佐賀城下白山(しらやま)町の商家の出である武富廉斎が、元禄七年(一六九四)建立した聖堂。聖堂と講堂(鳶魚斎)、それに家塾(依仁亭)からなっていた。二代藩主鍋島光茂が城内二の丸に元禄四年建立した二の丸聖堂や、これを観頤(かんい)荘内に移した鬼丸(おにまる)聖堂が藩の財力で建てられたのに対して、小城(おぎ)の儒者関尚樸、京都の中村斎に学んだ武富市郎右衛門(廉斎)がいわば民間の力で建立し、藩もこれを保護して聖堂の土地四段六畝五歩を免租地とした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by