大道寺村(読み)だいどうじむら

日本歴史地名大系 「大道寺村」の解説

大道寺村
だいどうじむら

[現在地名]宇治田原町大字立川たちかわ 大道寺

田原川の支流鷲峰山じゆぶせん北西部から流れ出る大道寺川中流の両岸山際に集落が集まる。村内を抜け鷲峰山金胎こんたい(現相楽郡和束町)へ登る道が通る。

奈良時代に山岳修験の道場として開かれた金胎寺の北側登山口として、早くから開かれた地といわれ、天平勝宝八年(七五六)に金胎寺の泰澄が建立したと伝える大道寺があった。地名はこの寺名によるが、平安時代この地は藤原忠実(冨家殿)荘園で、のちにその子頼長に伝領されたが保元の乱後、没官領として田原たわら庄など諸国の頼長領とともに後院領に入れられた(「兵範記」保元二年三月二九日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報