大道新家村
だいどうしんけむら
[現在地名]東淀川区小松一―四丁目・南江口一丁目・瑞光二―三丁目
北大道村字島頭の東にあり、北は江口村。古くは小松とも松山とも称された(摂津志など)。「西成郡史」によれば当村は全域砂地であって小松が茂り松山となっていたところから前記の地名が起こったといわれ、烈風の日は砂煙が上がって全村影を没し、近村では火災と誤認したこともあったという。
古くは味原牧(乳牛牧)の地に含まれていたと考えられるが、地質が悪く開墾は中世末期から近世初頭にかけてと推定される。その開発は屏風屋勘兵衛という富豪が行い、村地のほとんどを有したという(西成郡史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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