大野拙斎(読み)おおの せっさい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大野拙斎」の解説

大野拙斎 おおの-せっさい

1772-1830 江戸時代後期の儒者
安永元年生まれ。京都にでて梅荘顕常(ばいそう-けんじょう)にまなぶ。寛政11年越中富山藩につかえる。文化9年昌平黌(しょうへいこう)で古賀精里師事著作に「清倹堂遺稿」がある。文政13年5月25日死去。59歳。名は鼎。字(あざな)は国宝通称は十郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

〘 名詞 〙 ( 牽牛と織女の別れを悲しむ涙雨の意 ) 陰暦七月七日に降る雨。せいるいう。《 季語・秋 》[初出の実例]「歳時雑記曰、〈略〉七日雨、則曰二洒涙雨一」(出典:俳諧・滑稽雑談(1713)七...

洒涙雨の用語解説を読む