古賀精里(読み)こが せいり

百科事典マイペディアの解説

古賀精里【こがせいり】

江戸中・後期の朱子学者。名は樸(ぼく)。肥前(ひぜん)佐賀藩士の子。初め陽明学を学び,のち朱子学に帰す。佐賀藩儒官を経て昌平黌教官となり,幕政に参画,柴野栗山尾藤二洲と並んで〈寛政の三博士〉といわれた。著書《大学章句纂釈(さんしゃく)》《精里集抄》等。
→関連項目斎藤拙堂羽倉外記梁川星巌

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

古賀精里 こが-せいり

1750-1817 江戸時代中期-後期の儒者。
寛延3年10月20日生まれ。京都で福井敬斎(けいさい),西依(にしより)成斎らにまなぶ。大坂で頼春水,尾藤二洲(じしゅう)とまじわり陽明学から朱子学に転じる。天明元年設立の肥前佐賀藩校弘道館の教授となる。寛政3年から昌平黌でおしえ,8年幕府儒官となった。柴野栗山(りつざん),尾藤二洲とともに寛政の三博士といわれた。文化14年5月3日死去。68歳。佐賀出身。名は樸(すなお)。字(あざな)は淳風。通称は弥助。著作に「十事解」「大学章句纂釈」「精里集抄」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

こがせいり【古賀精里】

1750‐1817(寛延3‐文化14)
江戸中期の儒学者。名は樸,字は淳風,弥助と称す。精里は号。本姓は劉氏。佐賀藩士の家に生まれ,はじめ陽明学を学び京坂に遊学して朱子学に転ず。帰国後藩政に参与し藩校弘道館の教授となる。1796年(寛政8)幕府の儒者に抜擢されて学政の振興につとめ,柴野栗山,尾藤二洲とともに〈寛政三博士〉と称された。著作に《四書集釈》《大学纂釈》,施政の要を論じた《十事解》などがある。【頼 祺一】

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大辞林 第三版の解説

こがせいり【古賀精里】

1750~1817) 江戸後期の儒者。寛政の三博士の一人。佐賀藩の人。朱子学を奉じ昌平黌しようへいこうの教官となり、寛政異学の禁を推進。著「大学章句纂釈」「精里集抄」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

古賀精里
こがせいり

[生]寛延3(1750).10.20. 肥前,佐賀
[没]文化14(1817).5.3.
江戸時代後期の儒学者。名は樸,字は渟風,通称は弥助,精里はその号。代々佐賀鍋島家の臣。初め福井小車,西依成斎より陽明学を学び,のち尾藤二洲,頼春水と交わり朱子学に転じる。寛政3 (1791) 年幕命により昌平黌に講じ,同7年江戸幕府儒員となり,次いで昌平黌教官となる。林述斎,柴野栗山,尾藤二洲らとともに朱子学の振興に意を注ぐ。栗山,二洲あるいは岡田寒泉とともに寛政の三博士といわれる。著作『四書集釈』『大学章句纂釈』『中庸章句纂釈』など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

古賀精里
こがせいり
(1750―1817)

江戸中期の儒者。寛延(かんえん)3年10月20日生まれ。佐賀藩の人。穀堂(こくどう)の父。名は樸(ぼく)、字(あざな)は淳風(じゅんぷう)、別号は復原。京都に遊学して福井敬斎(ふくいけいさい)(?―1801)、西依成斎(にしよりせいさい)(1702―1797)に入門、また大坂で尾藤二洲(びとうじしゅう)、頼春水(らいしゅんすい)と親交、朱子学を尊崇するようになった。帰郷後、藩政に参与し、藩校(弘道館(こうどうかん))の創設とその教授にもあたった。1791年(寛政3)藩侯に従って江戸に出、藩臣として初めて昌平黌(しょうへいこう)で経学を講じ、さらに幕府の儒官として林祭酒(はやしさいしゅ)、柴野栗山(しばのりつざん)、尾藤二洲らと学政を振興し、栗山、二洲とともに「寛政の三博士」と称された。1811年(文化8)には祭酒とともに対馬(つしま)で朝鮮の通信使に応接した。
 精里は、異学の禁を継ぐ儒官であったが、闇斎(あんさい)学の固陋(ころう)な朱子学は嫌い、その学は博洽(はっこう)、詩文も軽視しなかった。能書でもあった。しかし単に文人儒生ではなく修己治人を旨として行政、教育にも手腕があった。文化(ぶんか)14年5月4日68歳で没した。『精里集抄』(精里文集)全3集10巻(1819)ほかがある。[黒住 真]

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367日誕生日大事典の解説

古賀精里 (こがせいり)

生年月日:1750年10月20日
江戸時代中期;後期の儒学者
1817年没

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精選版 日本国語大辞典の解説

こが‐せいり【古賀精里】

江戸中期の朱子学者。本姓は劉。名は樸(すなお)。字は淳風、通称彌助。肥前国佐賀生まれ。はじめ福井小車、西依成斎に陽明学を学び、のち大坂で尾藤二洲、頼春水らの刺激を得て朱子学を修める。佐賀藩の儒官、のち幕府昌平黌(しょうへいこう)の教授となり、官学の振興に尽力。尾藤二洲、柴野栗山(りつざん)とともに寛政の三博士と称された。博学で字義をおろそかにせず、詩文にもすぐれ、著に「四書集釈」「近思録集説」「精里全書」などがある。文化八年(一八一一)には、対馬で韓使に応接し、学識・文藻を称せられた。寛延三~文化一四年(一七五〇‐一八一七

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